刺激と反応の間には選択の自由がある 「7つの習慣」を読んで

勉強

皆さんこんばんわ、だにおです

朝活に連敗しています!本当に情けない。。。
運動は継続できているので、筋肉痛がひどいww
朝すっと起きられる方法はないかと色々探していると
必要な睡眠時間は、自分が寝る前に必要だと思っている睡眠時間である。
と、どこかで聞いたw どこだっけかなww

ということで、夜寝るまでに瞑想を行い、翌日の朝のポジティブイメージを作ってから寝る!
てのを取り入れてみようかと思います。

それでは前回の続き、コヴィー先生の7つの習慣の続きをやっていきたいと思います!!

刺激と反応の間には選択の自由がある

コヴィー先生はヴィクトール・フランクルさん体験を引用し、人が感じる刺激と、その刺激に対する反応の間には選択の自由があると述べている。

反応とは反射的で、受動的な態度のことである。

しかし人間は反射的な態度を表す以前に、その態度を自ら選択し別の態度を表すことができるという。このことは私自身も本書を読んでハッとさせられた。目から鱗が落ちた。

刺激を受けて反応を起こす前に、自覚・良心・想像・意思、これら4つの能力を選択し、主体的な態度を取ることができる。これは人間に与えられた特別な能力だという。

自覚 自分自身を客観的に見つめる能力
想像 現実を超えた状況を頭の中に生み出す能力
良心 心の奥底で善悪を区別し自分の行動を導く原則を意識し、自分の考えがその行     動と一致しているかどうか判断する能力

意思 他の様々な影響に縛られず、自覚に基づいて行動する能力

私には数人の部下がいるが、常々彼らの行動に対して反応的な態度をとってしまっているように感じている。

彼らの報告を途中で遮り、批判的な態度で反応してしまう。

相談に対して協力的な態度ではなく、主体的な活動を阻害してしまっているように感じている。これでは、彼ら自身の主体性を引き出すことは難しいし、どうも彼らにいい影響を与えてあげられているのか定かではない。

私自身の態度を変え、彼らの主体性を引き出すことはできないか、ということが私の最大の感心事であった。

○関心の輪と影響の輪

私が彼らに対して反応的な態度をとってしまう時、大抵の場合それは関心の輪にフォーカスしていたように思う。関心の輪にフォーカスすることで彼らの弱点を指摘したり、私自身にどうすることもできないことを見ていたように思う。

コヴィー先生のこれら二つの輪の考え方がとても参考になる。

反応的な態度をとっている時、往々にして関心の輪にフォーカスしてしまっており、建設的な改善策に対する視点が欠落したり、ないものねだりしていることが多い。

もっと、私自身の影響の輪にフォーカスし、刺激に対する反応を選択し、主体的な態度で接することができたなら、それに影響されて部下も主体的な態度をとりうるかもしれない。

私はもっともっと、私自身の影響の輪にフォーカスする機会を増やすように意識することが必要である。また、私自身の影響の輪を広げる努力をしなくてはいけない。

関心の輪の特徴は、
コントロールできないもの、他者の弱み、まわりの環境の問題にしてみたり、自分にはどうすることもできない状況を嘆いたり、人のせいにする態度、反応的な言葉を発し、被害者意識が強い。「もっと仕事のできる部下を持っていればなあ」と所有の概念に囚われる。ないものねだり。問題は自分の外にあると思っている。

影響の輪の内側には、
自分がコントロールできるもの、「もっと忍耐強くあれば」 beの概念、つまり存在の概念に満ちている。問題は自分の内側にあるという認識である。人格を磨くことと態度を同じくしている。

直接コントロールできることに影響したいのなら、

自分の習慣を変えればよい

間接的にコントロールできることに影響したいのなら、

影響を及ぼす方法を変える

コントロールできないこと相対したら

自分自身の態度を変えればよい

問題発見と解決までの過程については、コントロールできる事柄だが、

結果と過ちは影響の輪の外側にある。

結果は選択できないが、しかし過ちを犯してしまった時どう反応するかについては選択の自由がある。過ちをすぐに認めて正すのか、誤魔化し正当化し言い訳し嘘をつくのか。全ては自ら選択の結果なのだとコヴィー先生は教えてくれた。

主体性の本質とは成長の本質でもある。

人間だけに与えられた、4つの能力を用いて本質を捉えると

弱点、改善点を「良心」を通して

客観的に「自覚」し

「想像」により目標を立て
「意思」をもって約束を守る

ということだろう。

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